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50MHz帯AMの記録(富士山頂最後のキー局を務める)
夕陽を浴びる稜線
4回目にして最後のキー局を行う
それは98年9月初めでした。本当は、8月の末に行う予定だったのですが、台風の接近と、後に
那須豪雨と呼ばれる大雨の始まりのため、余暇活動をしている状況ではないと判断し、一週間繰り
延べました。
このときは、8月のハムフェアで宣伝していただいた後だったので、当初予定当日には「富士山頂
ロールコールはどうしたのか」という声がずいぶんあったそうです。代わりにキー局をされた方には
いまさらながらお詫びと御礼を申し上げます。延期の旨を中継していただいた方にも御礼を申し上げます。
たしか、無線でお願いして、パソコン通信の掲示板に伝えていただいたのでした。
実施したのは9月6日でした。21時の外気温は+2.7℃、気圧646hPa。ログの片隅にメモして
ありました。
ロールコールのときはいつも非常に緊張します。私は体調が悪くなるとまず声を出す体力に影響が
表れるので、富士山頂で翌日がキー局のときは早く寝て体調を整えたものです。このときも、これが
最後になるとわかっていたわけではありませんが、何か声に表れていたのか、開始直前にJA1EEZ
田中さんが、ひとこと「がんばってください」と激励してくれたことを今でも覚えています。
早速、その富士山頂キー局として最後のロールコールの記録を載せましょう。このときも出力500
ミリワット機を使っています。
アンテナは前回と同じく、東西方向に開けた場所に張ったダイポールです。
| 1998年 |
9月 |
6日 |
| 時刻 |
局名 |
周波数 |
形式 |
都府県 |
郡市 |
備考 |
| 2120 |
JJ1SWI |
50.55 |
AM |
|
|
バックアップ局との交信 |
| 2132 |
JL1KPM |
50.55 |
AM |
東京都 |
羽村市 |
|
| 2133 |
JR1OBC |
50.55 |
AM |
東京都 |
目黒区 |
|
| 2134 |
7K3OMS |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
伊勢原市 |
|
| 2135 |
JH4EIY/1 |
50.55 |
AM |
東京都 |
町田市 |
|
| 2136 |
7L3PLA |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
厚木市 |
|
| 2137 |
JJ1WXN |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
茅ヶ崎市 |
|
| 2137 |
JF1ODO |
50.55 |
AM |
茨城県 |
取手市 |
|
| 2138 |
JA1FNV |
50.55 |
AM |
千葉県 |
市川市 |
|
| 2139 |
JA1SLZ |
50.55 |
AM |
東京都 |
練馬区 |
|
| 2140 |
JG1KSR |
50.55 |
AM |
茨城県 |
結城市 |
|
| 2140 |
JA1KK |
50.55 |
AM |
東京都 |
杉並区 |
|
| 2141 |
JS1KLS/0 |
50.55 |
AM |
長野県 |
岡谷市 |
高ボッチ山 |
| 2142 |
7M1CUN |
50.55 |
AM |
東京都 |
稲城市 |
|
| 2143 |
JE1EMH |
50.55 |
AM |
東京都 |
江戸川区 |
|
| 2143 |
JE8NYY/1 |
50.55 |
AM |
東京都 |
町田市 |
|
| 2144 |
7L4UQF |
50.55 |
AM |
東京都 |
荒川区 |
|
| 2145 |
JH7DEZ |
50.55 |
AM |
福島県 |
白河市 |
|
| 2146 |
JF1LQP |
50.55 |
AM |
東京都 |
杉並区 |
|
| 2146 |
7N1QQJ |
50.55 |
AM |
東京都 |
中野区 |
自作0.1W |
| 2147 |
JS1IGV |
50.55 |
AM |
茨城県 |
稲敷郡 |
|
| 2148 |
7K2PBB |
50.55 |
AM |
埼玉県 |
浦和市 |
|
| 2149 |
7L1ONE |
50.55 |
AM |
東京都 |
青梅市 |
|
| 2150 |
JJ1WPK |
50.55 |
AM |
埼玉県 |
所沢市 |
|
| 2151 |
JP1VOC |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市港北区 |
|
| 2152 |
7M4GLU |
50.55/50.62 |
AM |
神奈川県 |
川崎市中原区 |
サーチ受信。ポケトラ10mW |
| 2154 |
JA3UHW/1 |
50.55/ |
AM |
埼玉県 |
所沢市 |
サーチ受信。10mWポケトラ |
| 2158 |
7M3NZZ |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市中区 |
|
| 2200 |
JH9UJB/1 |
50.55 |
AM |
東京都 |
武蔵野市 |
|
| 2201 |
JN1JLT |
50.55 |
AM |
千葉県 |
八街市 |
|
| 2202 |
7M1XPR |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市鶴見区 |
|
| 2204 |
JF1TMS |
50.55 |
AM |
埼玉県 |
大宮市 |
|
| 2205 |
7K1KTQ |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
川崎市幸区 |
|
| 2206 |
JH1HYH |
50.55 |
AM |
埼玉県 |
八潮市 |
|
| 2207 |
JI1HFJ |
50.55 |
AM |
埼玉県 |
新座市 |
200mW |
| 2208 |
JA1EEZ |
50.55 |
AM |
東京都 |
豊島区 |
|
| 2209 |
7K3TWQ |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
川崎市宮前区 |
|
| 2211 |
JF1DHM |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
川崎市中原区 |
|
| 2212 |
JI1HCD |
50.55 |
AM |
東京都 |
三鷹市 |
|
| 2212 |
JS1HOR/1 |
50.55 |
AM |
千葉県 |
千葉市稲毛区 |
|
| 2213 |
JJ1EEC |
50.55 |
AM |
東京都 |
江戸川区 |
|
| 2216 |
JN1CAK |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市鶴見区 |
|
| 2218 |
JE1KUP |
50.55 |
AM |
東京都 |
小平市 |
|
| 2219 |
7M4DJK |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
川崎市宮前区 |
|
| 2221 |
7M1AOZ |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
川崎市中原区 |
|
| 2222 |
JP1EVD |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市港北区 |
|
| 2225 |
JO1RAD/1 |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市戸塚区 |
|
| 2226 |
JJ1SWI |
50.55 |
AM |
東京都 |
府中市 |
|
| 2228 |
JQ1BXK |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市栄区 |
|
| 2229 |
7M1PUO |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市青葉区 |
|
| 2230 |
JK1ONN |
50.55 |
AM |
東京都 |
小金井市 |
|
| 2234 |
7N2QNY |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市戸塚区 |
|
| 2235 |
7L4WHI |
50.55 |
AM |
千葉県 |
船橋市 |
|
| 2240 |
JI1TLL |
50.55 |
AM |
神奈川県 |
横浜市 |
|
東京都20局、神奈川県21局、千葉県4局、埼玉県4局、茨城県3局、福島県1局、長野県1局の
計54局からチェックインがありました。これは、偶然でしょうが、前回の参加局と同数でした。
2エリアなど西方面からのチェックインが無かったのが残念でした。延期した影響でしょうか。
富士山を降りる
このころは、すでに自分としては富士山頂でキー局を行うことに幾分かのマンネリを覚えていました。
私はたとえば竹中さんのような当意即妙な会話ができる性格ではありませんから。コールサインと
レポートの交換だけが私の無線交信みたいなものです。しかし、それにもかかわらず呼んでくれた
数々の局に対してお礼の気持ちはいっぱいです。ロールコールの開始時、アナウンスの後、
スタンバイすると何十局もの電波が折り重なって呼んでくるあのAMのパイルアップを忘れることは
できません。私はもうあのようなパイルアップを経験することは無いのかもしれませんが、AM
ロールコールで受けるそれは、たぶん世界のどんな珍しいエンテティーへのペディションで受ける
それよりも感動的でしょう。それは、たとえお金をかけなくても工夫と協力によって無線が大きな
喜びを贈ってくれることを教えてくれました。
最後の山頂勤務はこの年の暮れ12月から年を越して1月まででした。それが最後の山頂勤務になると
はまだ知らずにいたのですが、思うところがあって、無線運用の予告はしないで出発しました。
記録によれば正月三日間に多少の運用をしています。JK1ONN高田さんとも交信しています。
予告無しで登ったことについて弁解めいたことを言ったかもしれません。
1月3日のJS3IAQ/1局との交信が最後になりました。そのまま山を降りましたが、
2月に入って人事の話があり、3月末日で富士山頂勤務から正式に離れることが決まりました。
その後、1999年の夏、自分の荷物を取りに行ったときや2000年の夏AMコンテストに参加する
ため山頂に登り、短時間の運用をしています。それらはもちろんまっとうな運用です。しかしもうそれは
私にとってよそよそしい記録にすぎませんでした。逆にいえば6年間、仕事の余暇として行うという
アマチュア無線本来のあり方を、自分がいかに恵まれた環境の中で体験できたか実感したものです。
青い空と白い雪。並ぶもののない高峰。そして空を飛ぶ電波。そこで仕事をしたこと、
アマチュア無線の運用ができたことは、まるで遅かった私の青春の最後の日々を飾るような出来事でした。
人間は記憶にばかり生きるものではありませんし、同じ経験を繰り返すこともできませんが、
美しかった日々への憧憬は忘れることができません。もしまた違った形でそのような日々が訪れるなら、
それにすぎる幸はないと思います。
お読みいただきありがとうございました。